〝バトル・ステレオ〟とも題されていた本盤。ブラス系ポピュラー・ミュージシャンだったボブ・シャープルズによる、ダイナミックで克明なサウンドを楽しめる。
通販レコードのご案内《英プレス、Decca Phase4、オリジナル》GB DECCA PFS4044 ロバート・シャープルズ ロンドン祝祭管弦楽団 チャイコフスキー・1812
ヴィオラとチェロのソロが奏でる正教会の聖歌「神よ汝の民を救い」にもとづく序奏に始まり、以後木管群と弦楽器群が交互に演奏する和音の強奏で序奏を終えると、ロシア軍の行進が近づいてくる。この部分はボロジノ地方の民謡に基づくといわれている主題。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の旋律をホルンが演奏するのをきっかけに、金管楽器群が激しい咆哮、戦闘が始まる。「大砲」がフランス軍を撃退すると、教会の鐘が一斉に鳴り渡り、「大砲」は祝砲に変わり戦争の終わりを告げる。
最初の録音ははっきりしていないが、1903年にビクター・グランド・コンサート・バンドが、1909年にアーサー・プライヤーが自身のバンドとともにビクタートーキングマシンのために吹き込んだ記録があり、英デッカからステレオ・レコード第1号盤(SXL2001)として発売されたのが、ケネス・アルウィン指揮ロンドン交響楽団演奏の録音でした。
ブラス系のポピュラー・ミュージシャンであるボブ・シャープルズ指揮による本盤も、よく知られたメロディーが続く《くるみ割り人形》共々、マルチ・マイク録音によるダイナミックで克明なサウンドを楽しむことができます。
このチャイコフスキーの大序曲《1812年》は、グレナディア・ガーズ軍楽隊が参加し、実際の大砲までぶっぱなす、最高にスペクタクルな演奏。FFSSをキャッチ・フレーズとして、自社のステレオ録音の優秀性をアピールする先導役のような盤でした。
1958年5月1日録音、この日が記念すべきFFSS STEREO録音栄華の幕開けとなったことは言うまでもない。この後デッカ社は、エルネスト・アンセルメ、マントヴァーニ・オーケストラ等で収益を積み重ね、大作「ニーベルングの指環」をサー・ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で完成したのは周知の事実。
そして、愛の喜びと悲しみ、人間の運命との闘い、信教上の心の動きなど。チャイコフスキーは、難解なロシアの民謡・文化をベースにしながらも、その上で色々なテーマを万国共通に分かりやすく曲にできる人でした。
デッカのステレオ録音最初期の優秀録音・名盤です。
通販レコードのご案内GB DECCA ECS703 ショルティ/パリ音楽院管弦楽団 イスラエル・フィル チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 デュカス:魔法使いの弟子
1950年代にデッカはパリ音楽院管とよく仕事をしており、モントゥー、マルティノン、ヴォルフらがフランスものやロシアもののレパートリーを録音していた。「小ロシア」の録音はパリのラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテで響きは多くなく直接音が入っている。同時期に5番も録音されている。ショルティがこの曲を録音しようとした時、リハーサルと本番で主席奏者が入れ替わったり、兵役で4人の奏者が交代したりとトラブルはあったが、この時期ならではの若々しいショルティの息吹がグイグイと伝わって来る快演です。「小ロシア」は、チャイコフスキーの後期交響曲以外ではよく録音されていた。
チャイコフスキーの生きた19世紀は民族主義運動の勃興の時代。オーストリアの音楽家が毎年訪れていた音楽界、我が国ロシアこそと、音楽芸術の世界では民族主義的な音楽が持て囃されていたのでした。若いチャイコフスキーが数々のウクライナ民謡を単に引用するのではなく、交響曲の骨子となる全曲の主題として採用したことに、これからの音楽のあり方を模索していた五人組の新進作曲家たち ― バラキレフ、ボロディンやリムスキー=コルサコフなども絶賛した、この交響曲第2番は、作曲家ではなく当時活躍していた評論家によって「小ロシア」というニックネームが与えられている。大変にウクライナ色の強い交響曲ということで「小ロシア」というタイトルなのですが、ウクライナ国に対する蔑称的色合いがあるとのことで近時は「ウクライナ」と記載することが多くなっている。
この曲の文脈においては、「小ロシア」という言葉には、純粋にロシアの親戚のような国という意味でしかありません。有名な後期三大交響曲に知名度においては遠く及びませんが、西欧音楽理論の粋である、優れた管弦楽法をマスターしていた作曲家チャイコフスキーの交響曲、両端楽章にあらわれるロシア臭たっぷりのメロディーに惹かれる。管楽器が大活躍の耳へのご馳走様。メロディたっぷりの楽しい音楽。ウクライナ系3代目ロシア人チャイコフスキーの作曲。三つの実在のウクライナ民謡が取り込まれている、全曲に祖父の国への親愛の情に溢れています。全曲民謡風の親しみやすい歌えるメロディの宝庫なのです。フィナーレはウクライナ民謡「鶴」を主題として展開してゆく大いなる交響楽章。金管楽器の派手な響きや管楽器の妙などが曲を支配していて、いわゆる深みがない分だけ、純粋な音楽的愉悦を味わえる音楽です。ショルティ盤では他では絶対に聴けないような歌い回しに酔いしれました。
- ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、何故かイスラエル・フィルを振るとそこに丁寧さとかつ美しいが加わるから不思議です。例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、ショルティは見逃さず見事に再現している。
通販レコードのご案内《英プレス、ワイドバンドED3盤》GB DECCA SXL6428 ヴィシネフスカヤ&ロストロポーヴィッチ ブリテン&チャイコフスキー歌曲集
ピアノの名手でもあった夫を伴奏に迎え、彼女のレパートリーの中核をなすチャイコフスキーの歌曲と、ブリテンが彼女のためにロシア語で書いた歌曲。彼女自身が「私の人生で最も重要な録音プロジェクト」と語る歴史的名演が、本盤です。
シンフォニーの前奏を想起させる冒頭から指揮者の尋常でない気迫が伝わってきます。この曲は、第一楽章がほぼ総ての曲の革新であるので、ここをどのように解釈し演奏するかに曲全体の成功の正否が掛かっていると言ってよい。音抜けの良い惚れ惚れするようなホルンの豪快な斉奏で始まり、重低音を響かせながら一気呵成に突き進む。それくらいこの曲でのオーケストラの音の厚さ、複雑な絡み合い、メロディーの美しさなど他のピアノ協奏曲と比較すると別格だ。
この指揮者はソリストに寄り添いながらも音楽の進行を常に生き生きと司り、「競奏」などというようなエゴを排した高次の「協奏」に向かっていく。ソリストを誘うのでなく、大オーケストラが前方の空気を律し、ソリストが堂々を歩めるよう道を先導する。どの音符もないがしろにされず、どの瞬間も聴き手の心を熱くさせずに虚ろに鳴り響くことがありません。安定の手兵との共演でなく他の管弦楽団への客演ということで、そこが一層緊張感をはらんでいて、しかもその緊張が良い方向にあらわれている。
またピアノも音も複雑に入り組んでおり、ピアノとオーケストラが一体となった時の高揚感はとんでもないものがある。それだけにやや訥弁で、控え目ではないかとソリストの演奏を感じてしまいがちだが、完璧な管弦楽だからこそ、カーゾンは若いブラームスの心情の純粋さと脆さを非常によく伝えていけるのです。第2楽章に耳を傾けてください。カーゾンの独奏は、一つ一つ音を噛みしめながらも、ごく自然に音楽の「間」を作り、管弦楽の荘重な響きの平原を印象的に昇っていきます。弦楽器が低音で非常に美しく呟き、金管楽器の思いがけない強奏がこの楽章のレクイエム的な性格を際立たせるなかに、もっと個人的な心情のたゆたう様子がピアノによって表現される。
交響曲を書き上げたいという作曲家の想いが強かったばかりに、ブラームスのこの作品が、多少若書きのアンバランスがあるがゆえに、指揮者の工夫とソリストの反応次第で、聴き手の心に紛れのない痕跡を残していく音楽になるのだろう。くわえて、プロデューサーのジョン・カルショーと録音エンジニアのケネス・ウィルスキンソンがキングスウェイ・ホールで録音したものである。これだけの好条件が揃えば、悪かろう筈がなく、期待に違わぬ素晴らしいレコードです。
特にチャイコフスキーの歌曲からそんな背景が見えてきます。少しずつ自分の苦しい気持ちを語りだされる「ただ憧れを知る者のみが」ですが、次第に我慢出来なくなって、ずっと抑えられていたパッションや絶望が噴火してしまいますが、再び自分の内の世界に戻って平明な歌になる。日本人にも文化的に通じるところがあるように感じています。チャイコフスキーの音楽は日本でも大変人気があります。ロシアの自然、生活感から生み出される深い憂愁、甘美さ、烈しさにみなぎっているメロディーはドラマティックでチャイコフスキーの作品本来の魅力をたっぷり味わうことができます。
ブルガリアの名歌手、ギャウロフが歌ったロシア語による歌を収めたアルバムです。
通販レコードのご案内GB DECCA SXL6530 ニコライ・ギャウロフ ロシア歌曲集
ギャウロフが注目を集めるのは1955年のパリ国際音楽コンクールでの優勝がきっかけで、すぐにプロとしてのキャリアをスタート、スカラ座やウィーン、コヴェントガーデン、ボリショイ劇場などにも出演するようになります。
ブルガリアはソ連とは同じスラヴ系言語ということで緊密な関係にあり、ギャウロフも声楽の本格的な勉強はモスクワで長期間おこなうなど、ロシア語作品は最重要なレパートリーとして積極的に取り組んでいました。1960~1970年代の脂ののった艶のある声は、ロシア・オペラには無くてはならない役にはまった歌唱なのです。ロシアの叙事詩を歌った歌曲や民謡なども、ドラマティックな特性が的確なバランスで歌われた名唱です。戦後最大のバス歌手と称される、名声を確立した1970年代に入って録音された歌曲アルバム。
- ギャウロフの最初の妻でピアニスト、息子の指揮者ヴラディーミルの生みの母でもあるズラティーナ・ミシャコワの伴奏で1971年にデッカでセッション録音したアルバム「ロシア歌曲集」。チャイコフスキーの「ドン・ファンのセレナード」では、ドン・ジョヴァンニ役でも高評価のギャウロフらしい粋な歌を聴かせます。
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Side-1
- チャイコフスキー:Nyet, tolko tot, kto znal(6つのロマンス Op.6 第6番 ただ憧れを知る者のみが)
- チャイコフスキー:Ni slova o drug moy(6つのロマンス Op.6 第2番 語るな、友よ)
- チャイコフスキー:Serenada Don-Zhuana(6つのロマンス Op.38 第1番 ドン・ファンのセレナーデ)
- チャイコフスキー:To bylo ranneyu vesnoi(6つのロマンス Op.38 第2番 それは早春のことだった)
- チャイコフスキー:Sryed shumnovo bala(騒がしい舞踏会の中で)
- チャイコフスキー:Blagoslavlyayu vas, lesa(森よ、私は祝福する)
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Side-2
- ボロディン:Dlya beregov otschizni dal'noi(For the Shores of Your Distant Homeland 遠い祖国の岸へ)
- グリンカ:Nochnoy smotr(The Night Review 真夜中の閲兵)
- ルビンシテイン:Melodya(メロディー)
- ダルゴムイシスキー:Chervyak(虫けら)
- ダルゴムイシスキー:Nochnoi defir stroont efir(夜のそよ風が穏やかに漂う)
- ダルゴムイシスキー:Starij Kapral(老伍長)
東欧ブルガリアからは、最も低い男声バスの名歌手が輩出されている。ボリス・クリストフ、ニコライ・ギュゼレフ、そして2004年に他界したニコライ・ギャウロフである。まさに〝バスの王国〟である。ギャウロフが育った家庭は貧しく、買ってもらえた楽器はハーモニカだったという。しかし彼には、神様から与えられた美声があった。
第二次大戦に向かっていく時代の小国の貧しい寒村の出身で大戦後も共産圏の国家でしたから、若い頃はたいそう苦労したそうです。そうしたなかでもヴァイオリンやピアノ、それにクラリネットを学びます。あるとき彼はオーケストラで合唱や独唱者のついた大規模な曲の指揮を振ることになりました。ところがこの独唱者がへっぽこで何度言っても彼の言うとおりに歌ってくれません。いい加減頭にきた彼は「いいか!こうやって歌うんだ!」と独唱者の代わりにオーケストラに合わせて歌ってやりました。すると合唱もオーケストラもみんな呆然としてしまいました。訝る彼に独唱者は言いました。「君が歌うべきだよ」それほど彼の歌が素晴らしかったのです。
しかもその素晴らしい声に加えて、彼はどんな役にも存在感を与えるだけの卓越した表現力を兼ね備えています。1950年代の終わり頃から国際的な活動を始めたギャウロフの歌には、〝バスの帝国〟ロシアの歌手たちの力任せの歌唱とは一味違って、知的な洗練が施されていた。1971年、ウィーン、ゾフィエンザール録音。
通販レコードのご案内《英プレス、ワイドバンドED3盤》GB DECCA SXL6428 ヴィシネフスカヤ&ロストロポーヴィッチ ブリテン&チャイコフスキー歌曲集
ピアノの名手でもあった夫を伴奏に迎え、彼女のレパートリーの中核をなすチャイコフスキーの歌曲と、ブリテンが彼女のためにロシア語で書いた歌曲。彼女自身が「私の人生で最も重要な録音プロジェクト」と語る歴史的名演が、本盤です。
シンフォニーの前奏を想起させる冒頭から指揮者の尋常でない気迫が伝わってきます。この曲は、第一楽章がほぼ総ての曲の革新であるので、ここをどのように解釈し演奏するかに曲全体の成功の正否が掛かっていると言ってよい。音抜けの良い惚れ惚れするようなホルンの豪快な斉奏で始まり、重低音を響かせながら一気呵成に突き進む。それくらいこの曲でのオーケストラの音の厚さ、複雑な絡み合い、メロディーの美しさなど他のピアノ協奏曲と比較すると別格だ。
この指揮者はソリストに寄り添いながらも音楽の進行を常に生き生きと司り、「競奏」などというようなエゴを排した高次の「協奏」に向かっていく。ソリストを誘うのでなく、大オーケストラが前方の空気を律し、ソリストが堂々を歩めるよう道を先導する。どの音符もないがしろにされず、どの瞬間も聴き手の心を熱くさせずに虚ろに鳴り響くことがありません。安定の手兵との共演でなく他の管弦楽団への客演ということで、そこが一層緊張感をはらんでいて、しかもその緊張が良い方向にあらわれている。
またピアノも音も複雑に入り組んでおり、ピアノとオーケストラが一体となった時の高揚感はとんでもないものがある。それだけにやや訥弁で、控え目ではないかとソリストの演奏を感じてしまいがちだが、完璧な管弦楽だからこそ、カーゾンは若いブラームスの心情の純粋さと脆さを非常によく伝えていけるのです。第2楽章に耳を傾けてください。カーゾンの独奏は、一つ一つ音を噛みしめながらも、ごく自然に音楽の「間」を作り、管弦楽の荘重な響きの平原を印象的に昇っていきます。弦楽器が低音で非常に美しく呟き、金管楽器の思いがけない強奏がこの楽章のレクイエム的な性格を際立たせるなかに、もっと個人的な心情のたゆたう様子がピアノによって表現される。
交響曲を書き上げたいという作曲家の想いが強かったばかりに、ブラームスのこの作品が、多少若書きのアンバランスがあるがゆえに、指揮者の工夫とソリストの反応次第で、聴き手の心に紛れのない痕跡を残していく音楽になるのだろう。くわえて、プロデューサーのジョン・カルショーと録音エンジニアのケネス・ウィルスキンソンがキングスウェイ・ホールで録音したものである。これだけの好条件が揃えば、悪かろう筈がなく、期待に違わぬ素晴らしいレコードです。
入手のメインルートは、英国とフランスのコレクターからですが、その膨大な在庫から厳選した1枚1枚を大切に扱い、専任のスタッフがオペラなどセット物含む登録商品全てを、英国 KEITH MONKS 社製マシンで洗浄し、当時の放送局グレードの機材で入念且つ客観的にグレーディングを行っております。明確な情報の中から「お客様には安心してお買い物して頂ける中古レコードショップ」をモットーに運営しております。