サー・ランドン・ロナルド(Sir Landon Ronald、1873年8月14日 - 1938年8月14日)は、イギリスの指揮者、ピアニスト。作曲家としても活動しており、交響詩などの管弦楽曲をはじめ、歌曲も遺している。


プロフィール

作曲家の父ヘンリー・ラッセルの息子としてロンドンに生まれる。王立音楽院で学び、17歳の時にコヴェントガーデン王立歌劇場でリリック・オペラ『ファウスト』を指揮して正式にデビュー。

また、同時期にオーガスタス・ハリスの旅回り歌劇団の指揮者も務めていたほか、1894年には名歌手ネリー・メルバの伴奏ピアニストとしてアメリカ合衆国を巡演するなど音楽家としても活動し、ロンドン交響楽団、ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団などを指揮していた。

レコード黎明期をリードした

ロナルドは1911年に史上初の協奏曲録音(グリーグのピアノ協奏曲の短縮版、ピアノ独奏を務めたのはヴィルヘルム・バックハウスであった。)、1913年にブラームスの交響曲第2番の世界初録音(ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団)を行うなど、ラッパ吹込みから膨大に録音を行っている。

独奏ピアニストとしては1900年、ショパンの軍隊ポロネーズ、リストのハンガリー狂詩曲第2番、グリーグのダンス・カプリース作品28-3などの録音を行っており、(テクニック面では、リストの弟子たちが黄金時代を築き上げていた当時の流れの中では目立たない存在だったであろうが、楽曲の持つロマンティシズム溢れる情緒的な表現をしている。これらは、歴史上初のピアノ独奏の商業用レコードとなった。)ネリー・メルバとの録音(伴奏ピアノ、伴奏オーケストラ指揮ともに)も遺されている。

ランドン・ロナルドの音楽の特質

電気録音での初めての全曲録音であるチャイコフスキーの交響曲第4番(1925年、EMI)などは端正で引き締まった演奏であり、現代のリスナーにも十分受け入れられる演奏だと思うが、しかし、現在CDで聴けるのは伴奏したものばかりで、単独のものはない。

よく知られている録音として、アルフレッド・コルトー(1877-1962)とシューマンのピアノ協奏曲を1927年と1934年の2回録音している。ベルリナーの平円盤レコードの黎明期からロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音を薦めた功労者でもある。1924年に電気吹き込みが始まり、1926年から電気吹き込みが本格的して大指揮者たちのレコードが続々と登場する地盤を先導した。

蓄音器を楽しむ会で鑑賞したレコード

フリッツ・クライスラーとのメンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲の録音は、英 HIS MASTER'S VOICE DB2460/62
(1935年4月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)