音楽全体を流れるエネルギーが強烈◉臨場感 フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル モーツァルト・「ドン・ジョヴァンニ」

通販レコードのご案内名高いシエピのドン・ジョヴァンニ ― フルトヴェングラー盤の悪びれない堂々とした歌いっぷり(悪漢振り)は無類の名演だ。

通販レコードのご案内《独ニュー・ニッパー盤》DE EMI 153EX 29 0667 3 フルトヴェングラー モーツァルト・「ドン・ジョヴァンニ」

 モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』は、最もフルトヴェングラーにこそふさわしい人間ドラマのオペラ。

  • DE EMI 153EX 29 0667 3 フルトヴェングラー モーツァルト・「ドン・ジョヴァンニ」
  • 1950年、53年、54年と3種のザルツブルク音楽祭での録音が存在し、中でも最晩年のこの録音が音質、演奏とも最高のものとされている。今日まで最高のドン・ジョヴァンニ役としてあまりにも名高いシエピの歌と演技をはじめ、すぐれたキャストによる演奏の素晴らしさはいうまでもありません。

 不世出のドン・ジョヴァンニ役者チエザーレ・シェピは、最後の幕の有名な「地獄落ち」の場面で、「悔い改めよ!」と迫る騎士長に、「ノン、ノン、ノン!」と3度、4度と断固拒否を貫くのですが、双方の対決を支援する管弦楽の圧倒的な遅さと、圧倒的な咆哮の兇暴さは、前代未聞の凄まじさで、聴き手の脳天を震撼します。
 モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」は、ダ・ポンテの台本によるオペラ・ブッファなので、本来であれば喜劇です。けれども、モーツァルトはこの作品を「ドラマ・ジョコーソ」と呼びました。「ドラマ」が”悲劇”を表すのに対して「ジョコーソ」は”喜劇”の意味ですので、モーツァルトはこのオペラには悲劇と喜劇の両方を込めたという見方が自然です。何しろ、幕が上がるといきなり真暗闇の場面に始り、そして殺人が起きて、最後はドン・ジョヴァンニの「地獄落ち」の壮絶な場面で終わりますので、通常のオペラ・ブッファのイメージからはまるでかけ離れます。全体を覆っている暗さ、重さは、とても単純に喜劇と呼べるような作品ではありません。
 しかしこの悠長とも思える遅く、重々しいテンポ。このオペラはプラハで初演されましたが、ウィーンで再演されたときにはモーツァルトがウィーンの聴衆の好みに合わせて改編を行ったのですが、出演歌手に力量のバラつきが有った為でもあるようです。
 ですので、モーツアルトのスコアには、この「地獄落ち」で終わる版と、その後で6人が揃って「めでたしめでたし」と終曲を歌う2種がありますが、フルトヴェングラーは後者を演奏しつつも、このオペラの本質は「地獄落ち」の迫真性そのものにあることを見定め、だからこの遅いテンポをあえて設定したのだということが、オペラの肝心かなめのキーポイントを聴いてはじめて分かるのです。
 残念ながら、フルトヴェングラーは1954年の11月に肺炎で亡くなっています。“1954年9月28日から10月6日まで「ワルキューレ」EMI録音をウィーンで行い、その後Gasteinへ耳の治療(右耳が聞こえにくくなっていた)へ赴き、Clarensへ戻る道中で風邪を引いた”、とあります。この風邪が命取りになるのです。(1954年8月3日ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音)

ブックレット付属、名演、名盤

通販レコード詳細・コンディション、価格

Cesare Siepi, Wiener Philharmoniker, Wilhelm Furtwängler ‎– Mozart - Don Giovanni (Dramma Giocoso)

プロダクト

レコード番号
153 EX 29 0667 3
作曲家
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
演奏者
チェーザレ・シエピ エリーザベト・シュヴァルツコップ エリーザベト・グリュンマー アントン・デルモータ オットー・エーデルマン エルナ・ベルガー ワルター・ベリー デジュー・エルンスター
オーケストラ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団
指揮者
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
録音種別
MONO
NEW NIPPER, MONO 3枚組(110g/110g/110g), Release 1986。

販売レコードのカバー、レーベル写真

DE EMI 153EX 29 0667 3 フルトヴェングラー モ…
DE EMI 153EX 29 0667 3 フルトヴェングラー モ…

コンディション

ジャケット状態
M-
レコード状態
M-
製盤国
DE(ドイツ)盤

通販レコード

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オーダーは 品番 / 34-22095
販売価格 6,600円(税込)


ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、つねにトスカニーニ、ワルターと並称される20世紀最大の巨匠であるが、その役割は、ただ指揮者として偉大であったというばかりでなく、唯物的感覚的な今日の音楽認識世界のなかで、正統的ロマン主義を意義づけ、音楽の思弁的有機的意味を復活した、というような点でも歴史的存在なのである。

フルトヴェングラー年譜

1886年(明治19) 0歳
1月25日、ベルリンにて誕生。父は高名な考古学者アドルフ・フルトヴェングラー(1853~1907)。
1906年(明治39) 20歳
2月19日、カイム管弦楽団(現在のミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)を指揮してデビュー。ベートーヴェンの“献堂式”序曲とブルックナーの交響曲第9番を演奏。
1922年(大正11) 36歳
1月23日に急逝したアルトゥール・ニキシュ(1855~1922)の後任として、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(1928年まで)およびベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任。
1926年(大正15) 40歳
10月16日、初録音。曲目はウェーバーの歌劇“魔弾の射手”序曲。
1927年(昭和2) 41歳
フェリックス・ワインガルトナー(1863~1942)の後継としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任(1930年まで)。
1933年(昭和8) 47歳
9月15日、プロイセン枢密顧問官に就任。11月15日には帝国音楽院副総裁に就任。
1934年(昭和9) 48歳
11月25日、ドイッチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥンク日曜版に「ヒンデミット事件」と題した論文を投稿。ヒンデミットの歌劇“画家マチス”を上演禁止したナチスと対立。12月5日、プロイセン枢密顧問官および帝国音楽院副総裁を辞任。1935年3月に両者和解し、指揮台に復帰する。
1937年(昭和12) 51歳
10月8日と11月3日、戦前最高の名盤と謳われたベートーヴェンの交響曲第5番を録音。
1942年(昭和17) 56歳
4月19日、ヒトラー生誕前夜祭でベートーヴェンの交響曲第9番を指揮。
1944年(昭和19) 58歳
12月、戦災に苦しむ同胞のためウィーン、ムジークフェラインザールにてベートーヴェンの交響曲第3番“英雄(エロイカ)”を放送用に録音。1953年にアメリカ、ウラニア社がレコード化し「ウラニアのエロイカ」として有名な録音となる。
1945年(昭和20) 59歳
1月28日、ウィーン・フィル定期演奏会へ戦前の最後の出演。1月30日にウィーンを発ちスイスへ亡命。第2次大戦終結後、連合軍から戦時中のナチ協力を疑われ、演奏禁止処分を受ける。
1947年(昭和22) 61歳
5月25日、「非ナチ化」裁判の無罪判決をうけ、戦後初めてベルリン・フィルの指揮台に立つ。曲目はベートーヴェンの交響曲第5番“運命”、同第6番“田園”ほか。
1948年(昭和23) 62歳
10月24日、ベルリンでブラームスの交響曲第4番を指揮。実況録音が巨匠没後の1959年にLP化され、同曲最高の名演の一つと言われるようになる。
1951年(昭和26) 65歳
7月29日、バイロイト音楽祭再開記念演奏会でベートーヴェンの交響曲第9番を指揮(7月29日)。このときの録音は彼の没後にLP発売され「バイロイトの第9」として有名になる。
1952年(昭和27) 66歳
11月26、27日、EMIへベートーヴェンの交響曲第3番“英雄”をセッション録音。同曲録音集、また巨匠のセッション録音中でも屈指の名盤との評価を得る。
1953年(昭和28) 67歳
5月14日、DGへシューマンの交響曲第4番をセッション録音。巨匠の最も優れたレコーディングとして知られるもので、音楽之友社刊『新編名曲名盤300』でもこの曲のベスト・ワンとして推されている名盤。
1954年(昭和29) 68歳
11月30日、ドイツ、バーデン=バーデンにて肺炎により死去。


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