空爆の烈しい最中のパリで没したドビュッシーのように「好きな作曲家です」と、言う音楽ファン・・・クラシック音楽の愛好家なら知っていることだよね。と言うかドビュッシーの音楽についての多くのレコード評を雄弁に操っている人はいても、生い立ちとかドビュッシーの生身を語ってくれる人がいない感じがします。ドビュッシー自身の演奏はレコードが残っているのに不思議なものですね・・・が多い作曲家は多い。協奏曲集「四季」は有名でも、ヴィヴァルディのお墓は変なところにあることは意識して聴いている人はいないでしょう。その反面で映画「アマデウス」で再び、暗殺説が定説化されようとしていているようで怖い。
面白おかしくキャラクターを演出しているようですが、モーツァルトがああした高笑いの青年だったろうと言う事はあらかた嘘ではなさそうです。
但し、映画は100年ほど前にモーツァルトの奥さんだったコンスタンツェが亡くなってずっと後に発表された小説を原作にしていることを憶えていて下さい。
人生は喜劇だ。もっと光を!と言ってベートーヴェンが亡くなったのが、3月26日。1827年のことです。ベートーヴェンは烈しい雷雨の中をかけまわって大騒ぎをした後で死の床についたのですが、眩しくて目がくらんで「もっと光を」と求めたわけではありません。光は生命の源であり、霊感をベートーヴェンは願望したのです。
クラシック音楽の大作曲家の中で、最もメロディーメーカーなのは誰か。それはバッハであり、ドヴォルザックとされています。ブラームスが言った、ドヴォルザックがゴミ箱に投げ捨てたメロディーで1曲の管弦楽曲を書く事が出来る。ベートーヴェンの音楽は建造物を造るように基礎から次第に外装、天蓋と発展するようにドラマティックです。予想外なことが起こっても補えるような構造をしているのですが、時としてさらりと書かれたメロディ、ハーモニーが出てきます。
ミサ・ソレムニスのヴァイオリン・ソロがそういう『霊感』を受けた瞬間の音楽。モーツァルトが神に愛された音楽家だと言われる所以は、モーツァルトは同時に3つの異なる楽譜を書いていたと言います。オペラと交響曲といった性格の違う楽曲を書いている時にこそは『霊感』は訪れやすいと言います。
ベートーヴェンに訪れた霊感。奇跡のアンダンテもそうですが、《英雄》交響曲の葬送行進曲も霊感が訪れた音楽でしょう。ベートーヴェンは交響曲第3番をナポレオンを讃えるために作曲を開始しました。しかし作曲終える時にナポレオンが皇帝になってしまったので、応援していた思いが裏切られたと憤慨。力任せに《ナポレオン》と書いたタイトルを消し破ってしまいました。自筆譜の最初のページに破れた後が残っています。1804年完成。演奏会での初演は、1805年4月7日にウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で行われました。日本での初演は、1909年11月28日に第1楽章だけが行われています。これは日本人が初めて西洋のオーケストラ演奏に接したドキュメントです。