歌い方は今聴いても、日本のオペラ歌手としてはトップレベルだと言えるほどだと思います。SP盤としてのマイナス・ポイントは差し引かなければいけませんけれどもね。関屋敏子さんが録音していた頃は、まだ統制も厳しくはなかったと思いますが"録音盤の割り当て"というものがありました。
今のように録音を録り直したり、編集したり出来ません。練習では上手くいっても、録音中に咳き込んだりしてしまったらもう原盤は使用できませんから緊張を強いられたことでしょう。「ホフマンの舟唄」でも終わりの方で伴奏が音を外してしまっていますが、やむを得ないものだったと思います。
藤山一郎さんを初めとして、戦前の多くの歌手は音楽学校出身者。声が良いのは当然ですが、関屋敏子さんは中でも抜け出た才能だと思います。お母さんのお父さん、すなわち母方のおじいさんがアメリカ人とフランス人のハーフ。つまりは関屋敏子さんはクォーターか、そのまた半分というところでしょうか。歌が優れていただけでなく、作曲したオペラも現在伝わっているものだけでも4作品。38歳で亡くなっていますし、歌手としての活躍も世界レベル、ミラノ・スカラ座でのプリマドンナとして歌ったり、オペラ映画に出演したり、自作のオペラの上演をしたりと充分すぎます。「天才音楽少女」は日本に再臨したモーツァルトの魂だったのかも知れません。
自作の歌曲『野いばら』の楽譜の裏表紙に、遺書を残していました。辞世の言葉としてはお葬式での、遺族挨拶の変わりにこれ以上の内容はないでしょう。映像や録音盤が残すことが出来たことは、歌手としてはこの上ない喜びでしょう。でも、LP時代は復刻されていたのにCD時代になってデジタル化されたのも他の歌手より早くてSP時代の1人の歌手で纏めたCDとしては、いち早くリリースされたのですが現在では廃盤となっている様は哀しいことです。
関屋敏子は、三十八歳で今散りましても、桜の花のようにかぐわしい名は永久消える事のない今日只今だと悟りました。そして敏子の名誉を永久に保管していただき、百万年も万々年も世とともに人の心の清さを知らしむる御手本になりますよう、大日本芸術の品格を守らして下さいませ。
– 関屋敏子, 遺書
via ja.wikipedia.org