耳が不自由なのに達者なピアノを弾く。と、成れば何よりも奇跡でしょう。4月11日はベートーヴェンの《大公》トリオが初演された人記録されていますけれども、これは単に名曲が初演されたという記録だけではなくてベートーヴェンが公の前でピアノ演奏をしなくなった日でもあります。初演で共演したヴァイオリニストとチェリストが同ベートーヴェンのピアノに合わせたのかは想像でしかありませんけれども、初演の場に集った人たちはベートーヴェンに楽譜を見せて貰ったと言うことです。
ベートーヴェンに楽譜を見せて貰って、ようやく《大公》トリオがどういう音楽なのか聴き手は理解できたようです。その様子を観てきっとベートーヴェンは、自分でピアノを演奏して聴かせることを断念したのでしょう。それを周りがチヤホヤと、新作に興味を持っているんだなと感じたとしたならば・・・ベートーヴェンの名前は今どうなっていることでしょうか。
目が不自由なピアノ弾きは随分と居ると思います。神童も二十歳を過ぎればただの大人。物珍しさでチヤホヤされたモーツァルトも幼い頃に父親と一緒に演奏を聴かせて神業だともてはやされた貴族の元へ訪れた時、二十歳を過ぎたモーツァルトへの態度は冷静なものでした。聴き手を感動させてこそであって、目が不自由だけれども指は廻るだけではダメなのです。録音だけというのならまだしも、クラシックの演奏家はステージ映えしなければいけません。自分の服装、演奏中の姿を鏡を観て工夫しているピアニストは多いことでしょう。オーバー・アクションは演奏の邪魔に感じられるばかりです。
腕の故障、指の故障はピアニストには致命的。シューマンはクララの父親に認められたいがばかりに無理な練習をして指を痛めてしまいました。クララの励ましで、音楽を断念しようとしていたシューマンは作曲家になりましたがシューマンのピアノ曲は、何処か指遣いが自然ではない。演奏しづらい部類ではないでしょうか。ラフマニノフはとっても大きい手のひらをしていました。病的な症状で身体の末端に行くほどに長く大きくなると言うものでした。身の丈も2メートル以上あったのですから、時代が違っているならば異形の存在でしょう。故にラフマニノフはショパンの曲を演奏する時も、自分流の指遣いに・・・編曲と言われるほど装飾音を盛り込んで演奏しています。
ラフマニノフの録音はどれも大きな音です。そして、ラフマニノフを大きな音で弾いたピアニストがコール・デ・フロート( Cor de Groot, 1914-1993 )。フロートのピアノの音色は、重戦車のように重く渋い音色が特徴です。超絶技巧をも何のその、軽やかなタッチではないのに音楽は鮮やかです。このフロートは1959年頃突然右手が不自由に成り、多くのピアノ曲を左手ピアノ用に編曲をして演奏を続けたそうです。
Prelude in cis op.3 no.2
Cor de Groot, piano
Decca XP 6018 (AM 1226/7)